[AD]
新しい動きがあったので2023,9月16日現在までの内容で追記いたしました。
2023年4月、元ジャニーズJrの岡本カウアン氏が過去の自身の性被害について記者会見を行った。
この記者会見から世の中がジャニー喜多川氏の性加害とジャニーズJrの性被害に注目が集まり始めた。
既に疑惑を向けられている本人、ジャニー喜多川氏は他界しているが被害者と思われる方々が続々と実名で名乗り出てきている。
それでもTVの報道は消極的。ジャニーズではない他の企業なら社会問題になるべく、問題にするべくジャーナリズムとかいって正義を全面に出してしつこいくらいに報道しているだろう。
被害者は数百人、記事によっては1,000人を超えるとも言われている大犯罪。
報道しないことで被害者が増大したことの罪の大きさ、
グルーミングで被害を感じていないのか、もしくは本当に知らなかったのかもしれないがジャニー喜多川の話を面白おかしく話していたジャニーズ所属の芸能人達。
当然かもしれないが今はダンマリ…。
いつもは正義の意見を堂々とお話ししているのだが今回はとても歯切れが悪い。
キャスターやコメンテーターをしているジャニーズタレントもコメントすらしない者もいれば明らかに問題のベクトルを変えて話している者もいる。
一線で活躍しているジャニーズの芸能人、被害者であるかもしれないが後輩達被害者の歯止めをかける事無く、ジャニー喜多川は良い人、恩人、面白い人、とのイメージを世間には伝え、定着させた、その発言をTV越しで見ることでジャニー喜多川は気分を良くして発言者の仕事が増えていたのかもしれない。
だがそれらの発言を信じてジャニーズの門をたたき。被害にあった少年達が何人いたのだろうか?
今性加害の報道を散見した後で、ジャニー喜多川の面白い話を思い出すと胸が痛い。その裏にはたくさんの少年犠牲者がいたはずだ。
「Youやっちゃいなよ」お茶の間にも定着したジャニー喜多川のお決まりのセリフ。
TVでジャニーズの口から二度と発することは無いだろう。
岡本カウアンによれば70代でも性犯罪をしていたジャニー喜多川。これからどうなっていくのかまた無かったものとされてしまうのか。
今回は「光GENJIへ」元ジャニーズの元フォーリーブスに在籍していた北公次著のジャニー喜多川氏への暴露本を購入したので凄まじい内容を紹介したいと思う。
2023.4月現在
「光GENJIへ」の内容概要
この書籍は故北公次氏が1988年に出版したジャニー喜多川が自身へ行った性加害の暴露本である。
多くページは割いていないが性加害の内容が詳細に書き記されておりいかにおぞましい行為であるかが生々しく伝わってくる。
青少年が受ける心の破壊を考えるととても胸が痛くなる。
そして性行為の見返りとしてジャニーズの、芸能人としての大きな仕事を与えられる事、少年たちの夢を餌にまだ世の中を知らない未成年の身体をむさぼるまでの一連の過程、合宿所として認識させていたジャニー喜多川の自宅での生活、ジャニーズ在籍中フォーリブスという大人気アイドル活動中に薬物に手を出し、頻繁に覚醒剤を使用していたこと。
その後フォーリーブスを解散しジャニーズを辞めた事で仕事が無くなり生活に困窮してしまうこと、その困窮の中でなんとか生きる中で村西監督に声をかけられジャニーズの暴露本を書くに至ったことまでが執筆されている。
今回の記事ではジャニー喜多川の性加害が記されている個所を中心に内容を絞り抜粋要約する。
北公次氏とは何者か
北公次氏は元ジャニーズの[フォーリーブス]にリーダーとして在籍し、当時日本全国で絶大な人気を泊したアイドルです。
ジャニー喜多川との出会いはジャニーズ(グループ名)のステージを鑑賞に行った際、ジャニー喜多川にスカウトされジャニーズの付き人を始めたことでジャニーズ事務所およびジャニー喜多川との関係が始まる。後に[フォーリーブス]としてデビューする。
ジャニーズ事務所でのフォーリーブスの活動期間は1967年〜1978年。
解散後ジャニーズを去り芸能の仕事を続けていきますがジャニーズの後ろ盾がなくなった彼に思うようには仕事が入らずに、生活にも大変苦労したことが記されています。
村西とおる監督との出会いをきっかけにジャニー喜多川の性加害についての暴露本を出版し、メディアに直接被害を訴えましたが当時取り上げるメディアは非常に少なく世間でも大きく話題になることはありませんでした。(今現在にいたるジャニーズとメディアの関係性において故意に取り上げなかったのだと思われます。)
その後も暴露本を数冊出版しましたがメディアがジャニー喜多川の性加害について大きく取り上げることはありませんでした。
北公次氏は2012年に63歳の若さで肝臓がんのため亡くなっております。
ジャニー喜多川との性行為
ジャニー喜多川にスカウトされジャニーズの付き人になった北公次氏はジャニー喜多川の勧めでジャニー喜多川自宅兼合宿所で住み込みを始めた。(当時、北公次16歳)
住み込みから2日経つかたたないかのうちにジャニー喜多川からの性加害が始まった。この日から4年半、ほぼ毎日性加害は続いた。
性行為の内容
うすい布団に寝ているおれのもとへジャニー喜多川さんがそっとやってきて俺の寝ている布団にはいりこんできた。その夜はお互いのお互いの体を密着させただけでとどまったのだが、翌日もその翌日もジャニーさんは俺の布団に入ってきた。そして段々俺の体に接する態度が大胆になってくるではないか。[こうちゃん頑張るんだよ。きっとスターになれるんだからね。きみは。僕も一生懸命応援するよ。そしてジャニーズに負けないアイドルになるんだ。]熱い吐息を吐きかけ俺の体を優しく何度もさすってくる。マッサージと言えなくもなかったが、そのうちに手がおれの下半身に及んでくる。ジャニー喜多川さんの手が俺の男性器をやさしくもみほぐし、巧みな手の動きでおれの男根は意思に反して徐々に波打ってくる。ジャニーさんが俺の首筋から頬にかけて口をつけてくる。その間もずっと男根がまさぐられていく。 北公次著「光GENJIへ」より
おもちゃにされて 切なくささやきかけるジャニーさんは、いつも間にかおれのパジャマを脱がせていき、舌で細いからだをなめまわしていく。指でおれの男根をまるでおもちゃのようにいじりまわし、そのうちに口にふくみ、しゃぶりだした。巧みな下の動き、初めてのことではないな、これなきっと経験を積んだおとこの愛撫にちがいない。 怖さといやらしさと不安と…。せっかく芸能界にデビューできる近道を手に掴んだと思ったその恩人に今こうやっておもちゃのようにもて遊ばれていることに言いしれぬ感情が渦巻いていった。「やめてください…。ジャニーさん…。いやですよ…ぼく」指と舌で巧みに男性器を刺激する。ジャニーさんも裸になり、おれのからだに密着してくる。両手でジャニーさんのからだを突き放そうとするが、上に乗ったジャニーさんは巧みにおれのからだを舌で愛撫しながら、手で勃起したペニスをしごき続ける。心のなかで必死に嫌がっても、巧みな技巧でおれはあっという間に放出してしまった。16歳のおれは女を知る前に男と性体験をしてしまったのだ。喜劇とも悲劇ともつかない複雑な心境に陥った。ホモの性癖がないおれには毎夜のジャニーさんの愛撫はまさに生き地獄だった。嫌ならばさっさと部屋から出てしまえばいい、何度そう思ったことか。しかし東京で食いつなぎながらアイドルをしていくためには、ジャニー喜多川氏のもとで生活する以外に手段はなかった。 ジャニー喜多川氏の求愛は毎夜続いた。おんなのからだを知る前におれはいやという程男同士のからだを味わうはめにたってしまった。 部屋で一人で寝ていると黙ってジャニーさんがもぐりこんでくる。そしていつものようにぬいぐるみを愛撫するようにおれのからだをまさぐってくる。 「疲れてるの?じゃあ肩をもんであげようね」愛撫しながら優しくおれのきゃしゃな肩をもみほぐしてくれる。そして下半身に手が伸びてまだ縮んだ男根を取り出して、巧みに手で刺激を与える。最初は抵抗するおれだが、半分はあきらめの境地、半分はこれもアイドルになるためとわりきってジャニーさんに身をまかせるのだ。 ジャニーさんは勃起したおれのペニスを口に含み、音をたててしゃぶっていく。微妙な舌と唇の動きでたちまちのうちにおれはジャニーさんの口の中に射精すると、そのままジャニーさんは飲み込んでいく。 口と手でおれをイカせてくれるのがジャニーさんの得意な愛撫術だった。もちろんそれ以外にふたりの愛し方はあった。おれのまたを閉じさせて、その隙間にジャニーさんの怒張したペニスをはさみこみ何度も何度も上下に動きながらジャニーさんはおれの腹と太ももの付近に大量の精液を射精する。イカせ上手なジャニーさんだが、もちろん彼もまた欲望を吐き出していく。 たまにおれの肛門に挿入することもあったが、あまりの痛さにおれは悲鳴をあげて拒絶した。だからいわゆるアヌスセックスはそれほどしていない。もっぱらお互いがお互いのペニスをしゃぶったり手で刺激したり股の間にこすりつけたりして、互いに射精するのだ。 北公次著 「光GENJIへ」より
合宿所名義の部屋でジャニー喜多川氏と共に夜をすごる生活はそれからも続いた。いやでいやで仕方なかったのにジャニーさんに身を任せなければならなかった自分に自己嫌悪を感じがこともしばしばだった。 「コーちゃん、お風呂に入ろう」ジャニーさんの誘いで二人一緒にいるときはたいてい湯船に入る。きゃしゃなおれのからだをジャニーさんがすみずみまで丹念に洗ってくれるのだ。 温かくなったからだをジャニー喜多川さんがタオルで拭きおれのくちびるにキスをする。このあとはふとんのなかで互いのからだを求め合うのだ。どんなに男同士の愛の行為を繰り返してもおれは同性愛者にはなれなかった。ジャニーさんにからだをまかせるのも、芸能界でデビューして必ずアイドルになってやるんだという目的のためだった。 北公次著「光GENJIへ」より
ジャニー喜多川の好みの少年たち
ジャニーさんの男の好みはあくまでも 個性の強い10代の少年 だった。
20代もなかばになると冷たくなり、事務所から抜けるような雰囲気を作り出していく。フォーリーブスもその運命をたどろうとしていた。
村西とおる監督 本の出版
ジャニーズ事務所を退所してから10年経った頃AV監督の村西とおるからの連絡があった。
当時村西監督はAV女優の発言からジャニーズ事務所のメリー喜多川と大喧嘩をしており、どちらも引く気がないなか村西監督はジャニー喜多川のホモセクシャルの暴露本を自らの著として出版しようとしていた。
北公次氏は一生涯世に話す気はなかったジャニー氏との関係を知り合って日も浅い関係ですぐに話すはずもないが、日を重ねていくうちに村西監督の誠意や優しさに当時のことを打ち明けるに至った。
衝撃的な内容を知った監督はこれは本人名義で出版すべきだと感じ、北公次 本人での出版に至った。
しかし、昭和の当時から令和の今(2023.7月)までの間、この犯罪の事実について大きく取り上げるマスメディアは存在しなかった。そして北公次氏も亡くなってしまった。
2023年9月 ジャニー喜多川の性加害はジャニーズ事務所により事実として認定された
BBC(イギリス放送協会)が動き、国連までもがこのジャニー喜多川の性犯罪について解決を求めるよう動き出した。
そのなかでジャニーズ事務所も無言を貫き続けたメディアもようやく重い腰を上げてこの世紀の大性犯罪について見解を示し、報道もするようなった。
過去に行った性加害の被害者は今現在で特定はされていないが100〜1000人に及ぶのではないかとも言われている。
2023年9月藤島ジュリーが社長の座を退き(株式は100%保有)、新社長として東山紀之が就任した。この会見でジャニーズ事務所はジャニー喜多川に性加害があったことを認めた。
会見翌日よりジャニーズのスポンサーが契約を延長しない動きが出始め、ドミノのようにジャニーズを今後起用しないという企業が相次いでいる。
今後の経過を観察しつつこの記事も加筆していこうと思う。